相良三十三観音と相良家

人吉・球磨を収めた相良氏と三十三観音との繋がり

人吉球磨には多くの歴史的文化財があります。

 

そんな文化財の一つが「相良三十三観音」です。

 

そんな相良三十三観音は春の彼岸と秋の彼岸の時期に「相良三十三観音巡り」という物があり全ての観音様が、一般御迂回されるのです。

 

期間中には地域の方たちが美味しい料理を用意していますので、人吉球磨の人々と楽しく会話をし触れ合うにはいい機会だといえるでしょう。

 

今回はそんな「相良三十三観音」について少しだけご紹介いたします。

 

■相良700年の中で受け継がれた歴史

 

人吉球磨の観音堂は100を優に超えます。

 

それは人吉球磨を収めていた、相良氏がしっかりと観音堂を守りそして地域の方たちがしっかりと受け継いできたからだといえるでしょう。

 

観音巡りが開始されたのは、江戸中期だといわれているのですが、100以上ある観音堂の中でも選りすぐりの35体の観音様を霊場としたのが始まりだったそうです。

 

「35体にも関わらず三十三観音?」と思う方も少なくはないと思いますが、この22番と24番が二つある為三十三観音になっています。

 

■一番札所は清水観音から

 

元々は人吉城の鬼門にあった物を明治になって、人吉市の願成寺に移されたものが清水観音と呼ばれいます。

 

この清水観音は、1603年に京都の清水寺にあった観音様を勧請した物であるため、清水観音と称されています。

 

明治になって願成寺へ移転されたのには、西南戦争の際に西郷隆盛の拠点となった為、人吉城が燃えたからだという説がありますが、真相は願成寺の立て札などに記載されていますのでここでは控えておきますね。

 

■元々は人吉球磨を一周できるようになっていた?

 

相良三十三観音巡りをしていると、どこから廻ってもよくなっている為、あちこちと行ったり来たりしてしまう様なイメージがある方もいらっしゃることでしょうが、実はどこから廻ってもしっかりと元の観音様へと人吉球磨を一周して帰ってくることができるようになっていました。

 

しかし前述したように、人吉城にあった清水観音が移動したように数体の観音様が現在では移動をしてしまっている為、番号通りに廻っても現在は全てを回って一周できなくなってしまっています。

 

しかし今では書く観音堂にパンフレットがありますので、パンフレットを見ながら一周できるルートを考えるのも楽しみの一つになっています。

 

■人吉球磨の隠れた観光

 

観音巡りの季節になると、観光客を乗せたバスが多く行きかうといったように、ツアーが組まれているようですが、観光ツアーで行けるのは、有名な駐車場の広い観音堂だけです。

 

ですから、一度ツアーで出かけたという方は、2回目はぜひレンタカーを借りてご自分で観音様を廻ってみてはいかがでしょうか。

 

相良氏が愛した観音様や開帳時にしか見る事ができないマリア観音などを探してみてはいかがでしょうか。

 

また、観音堂によっておもてなしの料理が違いますので、多くの墓所を廻って人吉球磨の郷土料理を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

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コメント: 2
  • #1

    たま (日曜日, 09 6月 2019 21:15)

    少しづつコンテンツが充実してきましたね。
    今後も楽しみにしています。
    がんばっていきましょう。

  • #2

    クラウドK川原 (日曜日, 09 6月 2019)

    たまさん、コメントありがとうございます。
    今後も有意義なコンテンツを増やしていきますので応援よろしくお願いいたします。